男一匹30代にしてあん摩マッサージ指圧師になる

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昭和60年も11月に会社が三度目の解散。
解散するたびにアルバイトを探す状態だった。

アルバイト先も倒産した。

もう自分の仕事は自分で潰そうと思い、自分に出来る仕事を探し
て資格を取ろうと思った。
前の仕事はトラックの運転手だったりレストランの店長だったり
ホテルでのボーイだったり。

アルバイトは沢山したぞ。
乳製品の配達、吉野家の牛丼、家屋の解体屋、宴会のボーイ、皿洗い。
大日本印刷で書籍の運搬。矢崎の太陽熱温水器の営業と取り付け。

持っている資格はアマチュア無線電話級と電信級、自動車運転免許と高卒の資格。
これだとドライバーにしかなれない。

ドライバーも一度故郷でトラック運転手の職についたが仕事がで
きないのてスピード違反で免停になってしまって大都市での移転
を勧められたが拒否して解雇になる。

他の仕事に向いていない。
寝坊が多すぎ。真面目にしようとすればするほど寝坊する。
向いている仕事をしたいと自分探しが始まって、最後に解散した
飛び込んだ世界でした。

23歳の時に一度田舎で仕事しようと思い開業の出来る学校という
ことで早稲田医療専門学校の鍼灸科を受けました。
当時は学校が少なくて落とされてしまいました。

ピンチはチャンスだった

二度の倒産と同じ会社の三度の解散を機に、キッチリと資格を取
ろうと思いました。

入学の理由は自分にでも出来そうなこと。(漠然とです)
どこでも仕事ができる可能性があること。
田舎でも外国でも出来そうな商売。

振り返るとホントにラッキー

学校の試験を調べてみたら11月だったので学校入試に間に合った
というアバウトなタイミングです。
ちょうど2校締め切りに間に合い受かった学校にいきました。

学校に入学する

学校に入学が決まってちょうど結婚する前だったのです。
少しでもお金になり、勉強できるようにと思いました。
確か入学した時は28歳。

業界誌の医道の日本という雑誌があるのが分かり求人広告で選ん
だのが整骨院の求人募集です。

条件がとても良くカイロプラクティックの勉強ができると思い願
書を持って面接を受けました。

学校は二部に入学したので昼間の時間、働いて勉強できるのは有
りがたかったです。

ほとんど無知識で入った世界です。
柔道と少林寺拳法をしていたことがあり、少林寺拳法では当時整
体の時間がありました。

今思えばストレッチ程度の整体です。
整骨院での作業も最初から無知識のままで前線に入れられました。
今ではありえないでしょうが当時は、かなり乱暴でした。

マッサージ業界に入った理由はいたって単純だった。
一週間後に学校が始まりワクワクして通いました。
何しろ学校は8年ぶりでした。
毎日新鮮でした。

整骨院で知らない年配の人達とお話を聞かされながらマッサージ
や低周波をつけたりホットパックで温めたり。
その当時の整骨院は今のクイックマッサージのような運営もして
いました。

保険でマッサージにかかる方が多かったのです。
5分という時間の制約の中で毎日20人以上マッサージをしていま
した。

だんだんと人はただ単にツボや揉んだだけでは良くならないとい
うのが分かりました。

分からない時は、学校で先生に聞いてみたりして試していました。
私はずっと健康だったので痛みとかダルさの辛さが分かりません
でした。

勤めてみて痛みもいろいろな種類があるのが分かりました。
あん摩マッサージ指圧は学校で習った技は効果が出ません。
当然です。技にもなっていない未熟だからです。

自己流の方が効きました。
師匠に入門したしばらく後は、この自己流の癖を治すのがちょっ
と大変でみした。

現場で使える技術は現場で覚える
現場とは、実際に仕事をしている現場でトレーニングしてから使
うことです。

使えるレベルにまで練習しないと使えません。
学校やスクールで習った技は?と言うと大事な考え方や基礎です。
ただ現場で使うには、かなり繰り返し練習して削ぎ落とさないと
使えません。

そぎ落として一つの型に構築したのが現場の技です。
下準備はとっても大切です。

ただ学校に通ったからといって技は身につかないとと思いました。
そんな三年生の夏休みに疲れたので近所の指圧を受けてみようと
思いました。

近すぎて行ったとこがありませんでした。
かなりその地域で開業されている治療院でした。
えっ!勝てると思いました。

その日に卒業したら開業しようと心に決めました。
指圧スタイルも自信がありました。
ないのは経験だけ。←問題が大きいだろう!

学費ですっからかんになり子供も出来てお金がないので訪問で始
めようと思いました。
学生時代は2年生から都心のマッサージ院でお手伝いしました。

学校の一部の先生からは何も考えずに子供作って、休んだら単位
などやらないと怒っていた先生が懐かしい。

2年間でずいぶんトレーニングしました。
乱暴で申し訳ないですがマッサージの現場に出ていました。
技も約3週間で覚え現場に出ました。

今は分かりませんが当時(昭和60年代)は都心の訪問マッサージ
院はあん摩マッサージ指圧学校の学生が多かったです。
今も昔も資格者自体が少ないのです。

今は無資格でバイトするのは厳しく警告されています。
ますます無資格マッサージが盛況。
マッサージといえば資格がいらないとマスコミも思っているので
クイックマッサージ特集など企画してしまう。

開業はこうやって準備した

仕事が終わるのが夜中の0時から1時。
電車が終わっているので帰りはオートバイでした。
開業を決めたので住んでいる地域で手軽に訪問しようと思いました。

仕事が終わると都心から当時住んでいた神奈川まで戻ります。
適当に、ここはホントに適当に知らない道を毎日突っ込んで帰り
ました。

卒業まで半年ほどこんなことを繰り返してどの場所でも家に戻れ
るようにしました。地図は見ません。
見ても役立ちません。

数週間は、帰りたどり着くまで1時間のところを1時間半以上かか
っていました。

何度も同じ場所で迷っている事に気がついた場所は後で地図で確認するとお椀の縁上の上を走っていたこともあります。

方向は正しいのに違う場所に出てしまうのです。
このトレーニングが開業した時にとても役立ちました。
その日からある程度地図を確認して動くことが初日から出来たからです。

開業は迷ったらダメです。
自信がなかったら開業しないことです。
覚悟がないと失敗します。

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