20年くらい前に面白いじいちゃんがいた。
田園調布出身のジイちゃんは

爺さん

「オレ、三島由紀夫と小学生の時、学習塾が一緒だった」

えーーーーウソッという私。
何で塾が一緒だったの?

爺さん

「あいつも勉強できなかったから」


えーーーー勉強できなくて東大に入れないと思うなと私。

爺さん

「東大は、学部選ばなきゃそんなに難しくなかったよ」

えーーーーホントかな?と私。

爺さん

「ウソじゃないって、旧制中学に入るのか大変だったんだよ」

で何してたの?

爺さん

「小学生の頃、自転車クラブのようなものを作って東京を走り回っていたんだよ。」


爺さん

「あの当時は、自転車に乗っている小学生は、少なくてオシャレだったんだよ」と彼。

爺さん

「彼ね、大学卒業してから国鉄に入ってね、、、」

えーーーーそれは違うでしょう。大蔵省でしょう?と私。

爺さん

「いや、本人が話していたから間違いないよ」と彼。

どこでその話三島由紀夫から聞いたの?

爺さん

「戦後、大学を卒業して電車の中でばったり会ったんだよ」


爺さん

「今どうしているの?と聞いたら国鉄の後、大蔵省ってね。」

爺さん

「大蔵省はその後だよ。」


爺さん

「三島由紀夫のオジサンが今どこにいるんだ?と聞かれて国鉄デスと答えたら、そんなとこにいないで大蔵省に来いって引っ張られたと話していたよ」

爺さん

彼ね、中学に入学した後からすぐに文芸で名前が知られていたよと

このお爺ちゃんは、昭和30年代は、シナリオ芸術という雑誌の編集者をしていた。
今東光から私設秘書にならないかと声をかけられたと話していた。
面白い爺ちゃんだった。

最後はバアサンに病院に入れられて退院できなかったのかもしれない。
頭は、はっきりしてもカラダが不自由になったらバアサンだけではどうしようもない。
病院のような老人ホームにお見舞いに行ったら「バアサンにやられちゃったなあ」と呟いていた。

バアサンも子供もいないので仕方なかったんだろうね。