昭和と指圧の風景

私が学校に入った当たりには、当時関わった先生たちがまだお元気でした。
その先生たちから指圧の団体がどのように立ち上がったか聞いていました。
患者さんも浪越先徳治郎先生をよく知っている方や増永静人先生を知っている方もいらっしゃいました。

野口整体の野口晴哉先生を知っている方もいらっしゃいました。
いろいろ興味深い話も聞きました。

私達が習った本には「指圧は、導引・柔道の活法・古来のあん摩術や大正初期に米国の各種整体療法の手技を吸収した施術」と紹介されていました。
各種整体療法の手技とはカイロプラクティックやオステオパシーを指しています。
いろいろな手技が整理統合された方法だったのが読み解かれます。

余談

昭和50〜60年代はカイロプラクティックは盛んでしたがオステオパシーは現在と違いほとんど聞いたり見たりすることは少なかったです。
平成に入って新しい手技療法ロルフィングがアメリカからチラホラ耳に入ってくるようになりました。

圧法を中心として行うものを「指圧」という名称に統一され運動療法の多いものを「整体」と呼ばれるようになりました。
指圧の成立年代や創始者については諸説あります。
もともと指圧の団体出来上がる経緯は、いくつかの療術師の方々が大同団結をして作り上げたものと聞いています。

世の中に指圧の名前が知られるようになったのは戦前です。
当時あん摩やマッサージの資格を晴眼者が習得するには大変な時代でした。
その中で新しいカタチを創りあげるために療術家が集まり立ち上げたのが指圧という形だと参加した先輩から聞かされました。

これは、まだ私たちの先生たちが存命なときにお話を聞いたので間違いのない話と思われます。
大きく指圧が進展したのは日本指圧専門学校を設立した浪越徳治郎氏の出現です。
浪越徳治郎はマリリン・モンローを治療したことにより一躍指圧の知名度を上げることに貢献しました。

その後テレビ出演で「指圧の心は母心、押せば命の泉わく」 と高笑いにより日本に指圧が普及したのでした。
その中でも指圧の最大の功労者のひとりが故・浪越徳治郎氏でしょう。
私が小学校に入ったばかりの頃、独特の顔と笑い顔がテレビで流れて流行ったものです。

指圧の心は母心、押せば命の泉わく!アッハッハッハ?と
これで私の田舎にも一挙にブレークしました。

私の生まれ故郷では1970年代まで住んでいましたがその当時指圧専門院というのは周囲にありませんでした。
 浪越先生自体は函館出身で函館で最初マッサージの仕事をしていたと聞いたことがあります。
その時たまた出会った国会議員に 誘われて上京したということです。
1990年代のテレビ番組で浪越徳治郎氏が番組の中でそのようなことを話されていました。
もう一人の指圧の功労者は増永静人氏です。
最初の日本指圧専門学校の教科書の責任編集をされていました。
指圧療法臨床という本です。とてもいい本です。
いち早く世界に指圧(SHIATSU)を普及させたのは増永静人氏です。
日本指圧専門学校で指圧の理論と技術をを支えた人です。
彼は鍼灸の経絡理論を展開し経絡指圧を確立しました。
増永指圧はフランスやオランダへと伝わり禅指圧と呼ばれています。
現在指圧は解剖生理学を基本に反射を意識した「浪越指圧」と東洋思想と経絡を指圧に取り入れ経絡とヒビキを意識した「増永指圧」に大まかに分けられます。
浪越指圧は、リズム感
増永指圧は、ヒビキ感
そんな印象を持っています。
私の学校は按摩が主体でした。
基本的な実技がありました。
日本指圧専門学校では指圧を特に3年間パターンで教えられていますので「浪越指圧だ」と分かります。
またこの安心感。
日本指圧専門学校での最初の教科書
「指圧療法臨床」/山口久吉・加藤普佐次郎共著/増永静人編集は名著です。
この教科書は増永指圧の色を濃く伝えておりますが現在の浪越指圧の教科書は初期の教科書とは全く違ったものとなっています。

指圧の覚書

指圧の歴史をもう一歩調べてみました。
前に書いたように指圧の発祥は大正9年以前を遡ることはないとのことです。
第二次世界大戦前に指圧が知られるようになったのはあの名著「実際的看護の秘訣」に紹介されたからだそうです。
大正14年が初版ですが掲載されたのは昭和4年の大改定の辺りというのが増永静人先生の見解でした。
昭和7年に「按腹図解と指圧療法」の著者 井沢正氏がこの「実際的看護の秘訣」を読んで指圧に興味をもったのが最初だと序文に紹介しています。
「実際的看護の秘訣」の著者は築田多吉氏という方です。
この本の中で指圧について興味深いことを書いています。
「近来此指圧療法の流派が非常に多くなって何々式指圧療法云々」と書かれていることを見てもすでに指圧が浸透し始めているのではないかと推測します。
しかも著者は数ヶ月間三人の流派の先生の講習会に出て研究されたそうです。
これだ第一次の指圧ブームに火ををつけたようです。
ここらあたりは大黒貞勝氏の「日本の手技療法」という掲載されたものに詳しく書かれているそうです。
ぜひこの資料を探してみたいと思います。
増永静人氏の資料で興味深いのは浪越徳次郎氏は最初は圧迫法という手技で開業されたそうです。

芦野純夫氏 マッサージという手技療法が、なぜあん摩・指圧と一緒の資格なの?

医道の日本 第749号 平成18年3月号に発表されたものです。
質問に正しくお答えするには、「指圧」にも触れておく必要があります。今では指圧といえば浪越式の指圧療法だと思っていますが、その単純明快な響きから他の手技療法も皆、それまであん摩由来の「圧迫療法」といっていた浪越氏も指圧と称し出し、戦時中は適性語として憚れていたカイロプラクティックも脊椎指圧療法などと称したほどです。戦後、あん摩(マッサージを含む)以外の手技療法は12条で医業類似行為として禁じられましたが、昭和30年、それらのうち各種手技療術に関してはあん摩マッサージと同質と見なされ、晴れて施術行為の仲間入りをしたのです。その時それらの多種多様な手技療法手技療法を一括する法律名に上記「指圧」が選ばれたわけです。したがって法律上の「指圧」は単なる押圧法や浪越指圧ではなく、西洋医学の流れを汲むカイロやオステオパシーなど、按摩・マッサージ以外の手技療法の総称です。それをなし崩しにさせているのが手技療法養成学校の開設を禁止した19条ですが、今回この問題まで及ぶ必要がないでしょう。